舌癌から中咽頭癌になった親父のブログ

息子の自分が親父の代わりにブログを書いていきます

放射線治療

こんばんは。 今日は親父が受ける放射線治療について記録的にブログを書いていこうと思います。 放射線を当てる部位は原発巣の部分と咽頭後リンパ節転移があったところ。 照射量は予定では限度いっぱいの70グレイを当てる予定。 痛みなど副作用が酷い時は途中で中止になる可能性があり。 病理検査の結果、摘出したリンパ節が被膜外浸潤陽性の為、補助治療として放射線を当てたほうがいいということになったこと。 放射線治療を追加して少しでも根治性が上がればと思います。

今日は

こんばんは。

今日は放射線治療のためのCTとMRIを取りに行きました。

前回18日に放射線科のお話があり色々質問してきました。

まず、今回放射線を当てる場所は前回当てた所とは被らないということ。

60グレイ〜65グレイを当てる予定。

今回手術した部分は前回の放射線は当たっていなかったのです。手術前の説明では放射線はすでに当たっているため有効な補助治療は無いので、切除の安全マージンを多めに取る(通常1センチの所2センチ取る)という説明でした。

つまり最初から放射線が当てられる前提なら切除範囲がもう少し、少なくて済んだのではないかと思ってしまいました。

もう少ししっかり確認しているものだと思いました。

しかし悔やんでいても仕方ないので、しっかりと治療して治ってもらいたいと思います。

13日の外来

こんばんは。 13日に頭頸科の診察がありました。 触診やファイバーでの診察では異常は無しのようです。 それと気になっていたリンパ節転移があるにもかかわらずN0の診断の事を聞いてもらいましたが、今回親父の転移していたリンパ節は咽頭後リンパ節と言うそうです。咽頭後リンパ節は中咽頭癌の所属リンパ節ではないからN0のステージ2の扱いと言われたそうです。よくわかりませんが医者がそう言うので納得せざるを得ませんがステージ2でもリンパ節転移があるのであまり嬉しくはないですね。 そしてリンパ節転移のしていた所が節外浸潤陽性で補助治療として放射線を当てましょうと言われました。 あれだけ放射線ができません、と言われていたのに急に言われてびっくりですが、リンパ節転移していた場所と舌根部にピンポイントで照射するような事を説明されたようです。 手術前の説明では放射ができれば5年生存率が80%近くまで伸びるとまで言われてたので出来る治療はやっていきたいと思っています。 18日に放射線科の説明を聞きに行きます。

今年も終わり

こんばんは。

早いもので親父の手術から2ヶ月が経ちます。

一時は一緒に正月が迎えられるか心配でしたがなんとかなりました。

親父の調子は体力が落ちていてふらふらしてしまうようです。職場復帰はまだしていないので家にいると寝てばかりいるみたいです。

食事は徐々に上手く取れるようになってきていますが、時間はかかります。

手術の後遺症で口が大きく開けられないのでかぶりつくことが出来ないのがストレスになるみたいです。

食べることが地獄のようだと言っていました。

それと保険屋さんに出す診断書を見ていたら

咽頭癌T2N0M0と書いてありました。

これだとリンパ節転移無しのステージ2なのですが、

入院中に摘出したリンパは悪性と聞いていたのでステージ3だと思っていました。

なんともはっきりしないので今度の外来で聞いてみようと思います。

ではみなさん良いお年を。

退院後の初外来

こんばんは。

金曜に外来に行って頭頸科の診察を受けて来ました。

鼻からファイバースコープを通して見ると移植部分も綺麗にくっついていて、繋ぎ目も分からない程でした。

口内や頸部をよく触診してもらいましたが特に今の所異常は無かったです!

内心ドキドキでしたが、先生に異常無しと言われると本当に心から喜べます!先生の一言に救われるとはまさにこの事でしょう。

食事の時に初めの2、3口は口を開くと顎に痛みがある事を先生伝えたら、手術の時にどうしても色々な神経を触ってしまっているので一生付き合っていかなければならいかもしれませんと言われました。

食事のほうは、カレーライスやシュークリーム、一口サイズに切った唐揚げなど色々な物が食べれるようになりました!

もちろん時間はかかりますが進歩しています!

マグロの刺身も食べれます。

体重は退院してからとりあえず0.5キロ増えました。

後はまだ体力も戻りきっていないので体力面でのリハビリもしていきたいと思います。

次回の診察は1月13日。

無事にクリアできるように祈るばかりです。

退院

こんばんは。

日曜日親父が退院しました。

まだ気管切開部の抜糸がしていなかったりと完璧ではないですがとりあえず無事に帰って来れました。

食事は家でリハビリをしています。

帰って来た日の夕食にすき家の牛丼を生卵をかけて食べたみたいです!

母は心配してミキサー食を出していますがイマイチ親父は食べたくないみたいです。

病院で散々食ったから普通の好きなもので食事の練習をしたいそうな。

先生方や看護師さんたちはここまで食事が取れるようになるとは思っていなかったそうです。後でこのような話を聞きました。

本当に上手に食べれるようになったねと看護師さんや先生方は喜んでいたそうです。

親父は無理とか諦めるという言葉はあまり使いたくないと言っていました。

私が思ってる以上に強い人です。

私も二児の父なので同じ立場ですが、正直親父超えるほど強く生きていく自信がありません。

それほど私にとって、父親として、男として偉大な存在です。

なかなか縁の切れない病ですが、生きられる限り生きて欲しいと思います。